要旨 : AI の進化が加速するなか、従来の検索主導によって成立していたオープン Web の構造は急速に変容している。無料情報の枯渇、企業の撤退、そしてプラットフォーム主導の有料化が進行する一方で、情報の供給構造において個人の存在感はむしろ増している。本稿では、AI の発展がもたらすオープン Web の構造的変化を検証するとともに、個人主体の知識発信が持つ潜在的な意義と可能性について論じる。
オープン Web の終焉は避けられないのか
AI による検索体験の進化により、Web における情報発見の導線は根本的な転換期を迎えている。従来、ユーザーは検索結果ページからリンクをたどり、個々の Web サイトを閲覧して情報を取得していた。しかし現在では、AI が直接的な回答を生成し、ユーザーがリンク先にアクセスする機会は激減している。このいわゆる「ゼロクリック検索」の増加は、広告ビジネスに依存してきた従来型のメディア運営モデルを直撃している。
実際、複数の主要メディアは、検索流入の減少に伴い、広告収益の縮小とともにコンテンツ更新の縮小や AI クローラーへの制限措置を講じている。Reddit や Stack Overflow、さらには有力新聞社なども、AI モデルへの無断学習を巡って訴訟や契約交渉に発展しており、結果として Web 上に存在するパブリックドメイン情報の質・量ともに減衰傾向にある。
検索の死、プラットフォーム化の進行
オープン Web の退潮は、単なる検索技術の進化にとどまらない。情報取得の導線自体が、X(旧Twitter)や TikTok、YouTube、Amazon、Reddit などのプラットフォームに集約されつつある。ユーザーは特定の用途に応じて、検索エンジンではなく、それぞれのアプリ内で情報を探索するようになってきている。このような状況は、「プラットフォーム化された Web」と呼ぶべき新たな構造を形成しつつある。
さらに、Google を含む大手企業が AI による対話型応答へと舵を切ったことにより、個人が従来の SEO に基づいて Web ページを公開することの経済的インセンティブは急速に失われつつある。AEO(Answer Engine Optimization)と呼ばれる新たな最適化手法もあるものの、その効果や収益化の可能性は極めて限定的であり、労力と成果のバランスを考慮すれば投資対効果は低いと考えられる。
個人にとっての希望はあるか
このような環境変化のなかで、意外にも個人による情報発信の重要性は高まりつつある。従来の SEO テクニックや広告最適化に頼る必要が薄れた今、情報発信の動機は「収益」ではなく、「思想」や「表現の衝動」に回帰しつつある。誰かの検索意図に迎合するのではなく、自身の視点や理念を語ることこそが価値を持つ時代が到来している。
とりわけ注目すべきは、政治や社会運動の文脈において、個人サイトが果たしうる役割である。Web 上で政策や価値観を一貫して発信し続けることにより、AI がその人物を「思想的基点」として認識し、要約や引用を通じて影響力を可視化する可能性がある。これは、従来のマスメディア経由では到達不可能であった“支持の種”を育む新たな土壌となり得る。
つまり、「AI に引用される存在」になることが、次世代における個人の社会的ポジションを形成するひとつの道筋となるのである。
やる気だけが支配する時代へ
検索流入や広告収益といった外的インセンティブが希薄になるなか、Web 上に残るのは「書かずにはいられない人々」の声である。収益化や集客を目的としない文章群が蓄積されることによって、むしろ情報空間は純度を高め、思想や視点において多様性を増す可能性を持つ。
情報はもはや「交換される商品」ではなく、「残響」として未来の AI に拾われる存在である。そのとき必要なのは、ライティング技術やアルゴリズム攻略ではない。必要なのは、思想を語る継続的な意志と、自身の存在を言語化し続ける覚悟である。
AI 主導の時代において再評価されるのは、そうした“持続的語り手”である。
結論
オープン Web は、確かにかつてのような公共空間としての機能を失いつつある。しかしそれは崩壊ではなく、制度と広告モデルに依存しない、新たな言論空間の再構築への過渡期と捉えることもできる。
AI が情報の要約者・中継者となる社会において、「語り続ける者」は新たな影響力を持つ。そしてその語りは、収益性や最適化ではなく、思想・理念・表現欲求といった内的動機によって支えられる。
政治、教育、思想、文化。あらゆる領域において、個人の Web 発信は今後、社会的信用と実質的影響力を持ちうる。やる気だけが支配する時代──その先にあるのは、アルゴリズムやプラットフォームを超えて、思想が評価される社会構造である。
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