米系のアフラック生命保険は人工知能(AI)を使って日本のコールセンターの人員数を半減する。米オープンAIと組んで顧客に自動で応答するシステムを開発した。500億円のコスト削減を見込む。
※出典:『アフラック、AIで日本のコールセンター人員5割減 OpenAIと提携』(日本経済新聞, 2025年6月18日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB16BO80W5A610C2000000/
アフラックが生成AIを活用し、日本のコールセンター人員を50%削減する計画を発表した。これは500億円のコスト削減を見込む大規模な構造改革であり、AIによる業務の置き換えが現実のものとなっている象徴的な事例だ。
一見すると、ついに人間の役割がAIに奪われつつあるようにも見える。しかし注目すべきはその削減率が「50%」にとどまっていることだ。完全自動化が理論上は可能とされる時代において、“半分”という数字は偶然ではなく、むしろ戦略的選択の結果である。
アフラックの企業背景と構造改革の文脈
アフラック(Aflac)は1955年に米国で設立され、日本では1974年に事業を開始した。がん保険に代表される第三分野保険を主力とし、テレビCMなどで高いブランド認知を持つ。日本法人はグループ全体でも中核的な収益源となっており、安定性と信頼性を軸に顧客基盤を築いてきた。
そのアフラックが、生成AIという最先端の技術を活用してコールセンター業務を改革するという決断には、単なるコスト削減以上の文脈があると考えられる。
コールセンター業務の多層構造
一般に「コールセンター」は顧客からの問い合わせ対応を担う部門とされるが、実際には問い合わせだけでなく、契約変更、新規提案、苦情処理、保険金支払い相談など多岐にわたる。
特に保険業界では、単純なQA応答ではなく、文脈や顧客心理を読み取りながら、信頼関係を築いていく役割が求められる。この構造上、業務は次の2種類に大別される。
- 定型業務:契約内容の照会、住所変更、手続き案内など
- 非定型業務:感情的な相談、意図の読み取り、信頼構築、トラブル対応、アップセル提案など
前者はルールベースで処理できるためAIの導入が進みやすい。一方、後者は「人間でなければ務まらない」領域であり、いまだ技術による完全な代替は難しい。
自動化の進展と限界
IVR(自動音声応答)やチャットボットの導入は2010年代から進み、多くの定型業務がすでに自動化されてきた。それにもかかわらず、非定型対応の需要は減っていない。
これは、顧客がAIによる機械的な対応よりも、人間の共感や柔軟な判断を求める局面が存在することを示している。AIの性能が向上した現在でも、「文脈の理解」や「心理的な安心感の提供」という側面においては、人間の価値が根強く残る。
行動経済学と心理学が示す「人間の力」
行動経済学の分野では、顧客の意思決定が必ずしも合理性だけで動いていないことが明らかにされている。特にノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンの「プロスペクト理論」では、人は損失回避に強く動機づけられるとされる。
このような場面では、顧客は「納得できる説明」や「共感的な対応」によって心理的に安心し、判断を下す傾向にある。これはAIが提供する情報の正確性よりも、誰がどのように伝えるかという“体験”の質が重視されることを意味する。
また、感情的知能(Emotional Intelligence)に関する研究でも、人間は非言語的サインや声のトーンを通じて相手の意図を読み取り、共感の有無を判断していることが示されている。
なぜ営業電話はAIに置き換えられやすいか
興味深いのは、営業電話のほうがカスタマーセンター以上にAI代替が進む可能性があるという点である。多くの顧客にとって営業電話は歓迎されない接触手段であり、AIによって最適化される余地が大きい。
属性・タイミング・履歴情報に基づいて、より「自然」で「ストレスのない」接触ができるのであれば、むしろ人間よりもAIのほうが良いと評価される局面も出てくるだろう。
ここでは、人間が“必要とされていない”という事実が、自動化を促進する最大の要因となっている。
50%削減に込められた意味──人間力を再集中するという私の考え
こうして見ていくと、アフラックが提示した「50%削減」という数字は、単なる合理化ではなく、戦略的なリソース配分の再設計を意味している。
つまり、AIに任せられる定型業務は任せ、その分の人的資源を非定型業務、すなわち顧客の信頼を支える本質的な対応に“再集中”する。その結果、企業としてのサービス価値、ブランド、競争力を高めるという意図が読み取れる。
人間の対応には、理屈では割り切れない価値がある。だからこそ、完全自動化の道を選ばず、「半分にとどめる」選択をしたことは、AI時代のサービス設計として合理的かつ本質的な判断なのだと私は考える。
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